県大の研究人!<キワメビト>~イマとコレマデとコレカラと~Vol.7

本連載ではこれまで、研究に取り組む学生と、その指導にあたる教員へのインタビューを通して、滋賀県立大学の研究の魅力や学びのかたちを紹介してきました。
今回は特別に、現在本学の学長を務める井手 慎司先生と、その教え子であり、今は本学で教員として教育・研究に携わる平山 奈央子先生に学生時代から現在に至る研究人生についてお話をお伺いしました。
研究が人から人へと受け継がれ、発展していく姿をお届けします。
※環境政策・計画学科は、令和8年度から環境社会システム学科に改称します。

キワメビト第9号 平山奈央子 准教授(環境科学部 環境政策・計画学科)

平山奈央子先生人々の価値観を定量化し、琵琶湖の理想の姿を描く

日本では、高度経済成長期と共に発生した公害問題が「環境」へ目をむける大きなきっかけになりました。特に水質汚染問題は政府が法律の制定などによって先導し、改善されてきました。しかし近年では、生態系や景観など、汚染問題の裏に隠れていた水環境の課題が見え始めたのです。これらの課題は、人々の生活や地域の文化、自治体の経済とも密接に繋がっているため、立場によって重要視していることが異なります。平山奈央子先生は、水環境という共通資源の扱い方に、あらゆる立場の意見を反映するための研究に取り組んでいます。

Q.取り組んでいる研究について教えてください

私は琵琶湖をはじめとする湖沼流域の環境保全を大枠に、環境に対する市民の価値観を基盤とした、政策を策定していく過程での合意形成のあり方や、事業予算を検討・決定していくための方法について研究しています。この研究を始めたきっかけは、滋賀県立大学に入学して得た出会いにあります。兵庫県出身の私は、キャンパスのそばにある琵琶湖を美しく感じていました。
しかし、琵琶湖の保全活動をしている団体と出会い、立場によって琵琶湖の環境に対して感じることが違うことがわかりました。例えば、漁師さんは魚の数や種類を通して、沿岸の住民は景観やゴミの状態などを通して、それぞれが琵琶湖を評価しているのです。こういった価値観の違いを受け入れながら、政策を作る時には集団的な合意形成をしないといけません。学部生時代は、水質保全事業全体の中で下水処理技術の高度化にどの程度価値があると考えられているのかをアンケート調査し、事業全体に対して市民が負担可能と感じる金額の中から下水処理に割ける予算を推定する研究を行いました。必要な予算から負担額を決めるのではなく、人々の価値観を定量化し、予算と事業内容を決めることができるのではないかと考えたのです。

この研究から、人々の意識・行動・評価を定量的に分析する研究、行政や企業、市民活動団体など立場の違う公共事業の担い手が連携・協働するための指針を得るための研究、政策の形成過程に関する研究の三つを柱に研究テーマを展開してきました。今は政策の形成過程に関する研究に力を入れていて、国内の琵琶湖以外の湖や海外の湖と比較しながら、地域住民の意識や活動と湖の保全を目的とした政策や法律の制定の関係性を評価したりしています。

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(a) 琵琶湖流域の自然環境や暮らしに対する滋賀県民の評価
(b) マザーレイクゴールズ(MLGs)の13のゴールに対して積極的に取り組んだ人の割合をアイコンの大きさで表現した図
(c) アンケート調査の回答を解析し、琵琶湖に対する愛着や知識がどのように評価に結びついたかを表した心理構造モデル

出典:(a) (b)
マザーレイクゴールズ(MLGs)推進委員会,シン・びわ湖なう2022
(c) 平山奈央子(2021)琵琶湖流域の環境評価に影響を与える要因,環境情報科学 学術研究論文集35,pp. 55-60.

Q. 研究室を選んだ理由を教えてください

大学に入ってすぐに琵琶湖の環境保全団体の勧誘を受けて、気がついたらいろんな活動に参加していました。入学年の2001年に第9回世界湖沼会議が滋賀県で行われたこともあり、環境保全団体の活動が県内、大学内でも活発でした。この環境保全団体の動きと世界湖沼会議の運営に井手先生が関わっていたのです。第9回世界湖沼会議では、学生が議論に参加する企画を井手先生と井手研究室の先輩が運営していて、私もお手伝いをしました。2003年にアメリカ・シカゴで行われた第10回世界湖沼会議も井手先生とご一緒させていただいて、貴重な経験をさせていただきました。

そのような関係性でしたので、研究室配属を希望する時は、井手先生の研究室を選びました。環境保全団体の活動の中で水環境を取り巻く価値観の研究がしたいと思うようになっていたこともあり、研究の方向性も私の関心に合っていました。

Q.なぜ博士後期課程まで進学したのですか?

「知りたい」という気持ちに従って、目の前のことをひたすら追いかけた結果、博士後期課程に進んでいました。博士前期課程2年生の時に、琵琶湖の環境保全計画を定める「マザーレイク21計画」の改訂が始まると聞いて、計画を定めるまでの合意形成の過程を研究したいと思いました。今しかできない研究ができると、心がときめいたのです。

改訂作業の一環として市民を対象に行われたワークショップでの議論の録音を文字起こしして、単語の出てきた回数や、頻出する単語のペアリングなどのテキスト分析を行い、話題の変遷や関心事項の可視化を行いました。私自身、ワークショップの企画や議論のファシリテーションが好きなので、研究を通して身につけたスキルはコンサルタントや環境アドバイザーになれば活かせるだろうと思っていました。当時の社会情勢的に、女性のキャリア形成はそんなに楽観視できるものではなかったはずなのですが、ご縁に恵まれて、今も大学の研究者として研究できる場をいただいています。

ワークショップの写真

▲マザーレイク21計画に対する進捗状況について話し合うワークショップ「びわコミ会議」の様子

Q. これから、滋賀県立大学がどの様に発展していくと良いと思いますか?

滋賀県立大学では、学生も教員も地域とのつながりを意識して様々な活動に取り組んでいます。その個々に生まれているプロジェクトのうちいくつかが成長し、大学の取り組みとして大きな地域連携の輪になると良いと思います。例えば、研究によって得られた知見を県の政策策定に生かすことができれば、滋賀県の人たちに研究成果を還元できると思います。課題を抽出し、その解決方針を見出すことが大学の様な研究機関の得意とすることですが、地域に根ざす大学として、解決のための大きなアクションを生み出す機能も担えると良いのではないかと思います。

平山 奈央子 先生の担当教員をつとめた、井手 慎司 学長に特別インタビュー!

井手慎司学長大学と共に歩み、本質的な「研究の自由」に出会うまで

滋賀県立大学 井手 慎司 学長
(~2023年 環境科学部 環境政策・計画学科 教授)
時代の過渡期、波乱の中でたどり着いた研究者としての居場所

私は、学部から修士課程にかけて下水の処理プロセスを研究していました。学部4年生の私は、汚い水が綺麗になることに、純粋に面白さを感じたのです。大学院に進む頃には研究職に就くことを意識し、さらに米国に留学して博士課程に進むと決めた時には、大学の研究者として生きていくことを明確に意識するようになっていました。しかしちょうどその頃、時代はいろいろな意味で過渡期をむかえていたのです。

米国のリサーチ・アシスタント(RA)制度を利用して留学する予定でしたが、私が渡航を決めていた年に研究助成が打ち切られ、資金面での課題に直面しました。そこで指導教員が助け船を出してくださり、民間企業から奨学金を受けて留学する道が開けました。ただし、その奨学金には、帰国後にその企業へ就職するという条件が付されていました。それでも当時は、大学の研究者になる夢が遠ざかる可能性があったとしても、留学できること自体の嬉しさの方が勝っていたように思います。

私が渡航した1980年代は、IBMやAppleがパーソナルコンピュータを発売し始めた時期で、世界中の研究者が、さまざまなシステムの監視や制御をコンピュータで行おうと挑んでいました。留学先では、下水処理システムにコンピュータ制御を導入する最先端の技術について研究することができました。学びを修めた後も、奨学金を受けていた企業の研究所において、上下水道システムのコンピュータ制御に関する研究に携わりました。

一方で、研究内容そのものに不満があったわけではありませんが、心のどこかで、企業の研究所が自分の最終的な居場所だと思えず、次第に大学に戻る道を模索するようになりました。そうした折、大学院時代の恩師の勧めや、滋賀県に県立の四年制大学が新設されるという話もあり、企業の研究所があった東京を離れて滋賀県へ移り住む決断をしました。

当時の滋賀県は、途上国における環境保全のための技術移転を目的とした国連機関(UNEP国際環境技術センター)の誘致を進めており、県の外郭団体が、そのために働く職員を求めていました。私はそこで勤務しながら、大学教員の公募に応募し続けました。しかし、職務の性質上、研究実績を増やすことは容易ではなく、就職活動は難航を極めました。大学への就職活動を諦めようかと思った頃、1年後に開学を控えた滋賀県立大学で、数学を教える教員が不足しているという事情から、採用していただくことになったのです。

「研究環境」ではなく「発想」が研究テーマを生み出す

県大が開学した年(1995年)、環境科学部 環境計画学科の環境社会計画専攻(環境政策・計画学科の前身)に着任しました。率直に言えば、当時、私がやりたい研究は進めにくい状況にありました。上下水道の処理プロセスとその制御に関する研究を進めるためには、本格的な実験室が不可欠です。しかし、環境社会計画専攻は、環境に関する政策や計画などを研究する専攻で、そのような実験室はありません。それでも自分の専門や自分にしかない経験を活かせる突破口を探して、もがき続けました。

開学したばかりで、新しい大学を創り上げていくために、研究以外の仕事も数多くありました。この時に生まれた、学生と教員という立場の違いを超えて一緒に大学をつくっていく雰囲気が、一人ひとりの個性や、やりたいことを尊重して実践できる場を提供する校風につながっていると、今では思います。

着任して数年間は、研究が思うように進められない状態が続きましたが、ある時、自分が社会的に大事だと思うことであれば、どのようなことでも研究テーマになり得るのだと気づきました。本質的に、研究テーマは自由に決めてよいのです。検証したいことを、自分なりの研究的手法に落とし込んで究め、意義のある結論を見出す。そこに、どれだけの時間と労力を注ぎ込めるかが、研究のクオリティにつながります。

かつて滋賀県で展開された石けん運動に関する社会心理学的な研究の論文が受理された時、自分の専門に縛られない研究テーマの見出し方や分析方法に、自信が持てるようになりました。それから研究は軌道に乗り始め、ちょうど平山奈央子先生が学生だった時期に、研究室は最盛期をむかえていたと言えるでしょう。当時から、平山先生は分析結果をわかりやすい図表で伝えるセンスが光っており、私自身も多くの気づきを得ました。彼女を含む学生一人ひとりのアイデアや得意なことが、研究の幅を広げ、成果へ繋がっていったのです。

この30年間、学生の主体的な活動が、大学独自の取り組みや成果を生み出し、大学の強みや文化を育ててきたように思います。1つのキャンパスに4学部が集約されていることで、他学部の学生との交流が生まれやすいこと、また、学生と教員の関係性を築きやすい人数規模であることなど、今の校風を培ってきた要因はいくつもあります。総じて、大学全体に「人が育つ大学」という建学の精神が、今も息づいているのです。これからもその精神を大切にしながら、滋賀県立大学の発展に貢献していきたいと考えています。

大学受験を考える皆さんへ――滋賀県立大学のアピールポイント

滋賀県立大学には、学生のやりたいことを尊重し、応援する文化があります。皆さんが興味・関心を持っていることや、やってみたいと思っていることを実現するための仲間が、ここにはいます。友達や先輩だけでなく、教員や大学組織も巻き込みながら、そうした挑戦に取り組むことができるはずです。

ぜひ一度キャンパスに足を運び、やりたいことに打ち込んでいる自分や、誰もやったことがないことに挑戦している自分の姿を想像してみてほしいと思います。